平和の礎

平和祈念公園に朝早くから
いました



僕の祖父(母方)は沖縄戦で
亡くなっていまして
なので僕は祖父の顔を写真の
1枚でしか知らないです
ちなみに母親が生まれる前
なので、母親さえ祖父の顔を
見ていません

今まで沖縄に遊びに行くだとか
そういうタイミング無くは
無かったのですが、なんと無く
そういう軽い感じで行くことが
気持ち入らず、ズルズルと今日
まで来ていました。今回は
仕事でですので、いい機会
でして

海が一望できる、素晴らしい所
ですが、当時は激戦地ですね



各地・各都道府県で分けられて
いまして、祖父は京都府



南勝次・と言います
僕が今・生きていて、こんな感じで
仕事出来ているのも祖父のおかげ
でもあります。ありがとうと言いたい
です

立ち去りがたい所ですが、
打ち合わせもあり、移動するの
ですが

行きもかなり無理したのですが
あいにく土曜日でバスも殆ど無くて
次に来るバスが1時間以上待ち
タクシーも来ない
ならばと歩けるとこまで歩こうと
メイン幹線道路を進む

当日はとても暖かく、歩くと
汗ばむほど。ですが戦争時は
灼熱だったろう。色々思いながら
歩く



途中ジョン万次郎・上陸の地
なんてのがあったり



壁を這うカタツムリ・2月初旬ですが
そこは沖縄なので



平和祈念公園に行く途中で見えて
いたので出来たら伺いたいと思って
いた「ひめゆりの塔」にも行く
ことが出来たのは歩きゆえです
でもここまででも結構歩いていまして



その横の木・根っこが僕には
まるで学徒・女学生のの命にも
見えます

そろそろ時間的に厳しいな・・と
思っていたところにタクシーが
やって来て、タクシーも僕の
イデタチ・つまり移動用のコロコロ
こんな山道で持っている=観光客
だろうと思ったんでしょうね
背後からゆっくり走って来て
「乗りますか?」みたいな合図



こんな朝も早よから、なんで
いるの?とか聞かれて「実は
カクカクシカジカで、平和祈念公園
に行ったんですよ」というと
そのタクシーの運転手さんも
親族・親兄弟を相当亡くしている
方でして、しばらくそんな話と
車窓から見える箇所箇所で
こんな被害があった等・説明を
受ける

降りるときにその運転手さんが
「今日は来てくれてありがとう
きっとお祖父さんも喜んでいると
思うよ。また来てください」
と言われました。その優しさに
心・洗われる思いでした

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